プロスポーツの世界などでは、記録より記憶に残るなんていう言い回しをよく耳にします。数字上はタイトルとは無縁であったとしても、ファンの脳裏に強烈なインパクトを残し去っていった者へ贈る最大級の賛辞といえる言葉です。
特に太く短くの活躍をした選手などは日本人の大好物であり、往時を知るファンが安居酒屋あたりに集まるたび、アニマルレスリーの叫び声はギャオス内藤以上だったとか心底どうでもいい昔話に花を咲かせるわけであります。
さて、この記憶に残るという常套句、これを風俗街に当てはめたとき、多くの人は西川口という街を思い起こすのではないでしょうかどうですかお客さん?
2000年代初頭の西川口は歌舞伎町や吉原などの名だたる強豪を抑え、日本で最も勢いのある風俗街といえる存在でした。
ウヒヒな行為を示すNK流の三文字は連日スポーツ新聞や週刊誌上を踊り、東京観光のルートに無理矢理西川口が組み込まれちゃうくらい、西川口風俗自体が国民的支持を得ていたわけであります。
もともと、この街は鋳物(金属製品)の一大工業地帯として発展したお隣川口、そのベッドタウンおよび歓楽街として人口を増やしてきたエリアであり、そこまで大きな風俗街ではありませんでした。近隣にオートレース場と競艇場があったことも手伝って、地元住民やギャンブル帰りのお客さんなどをアテにしつつも細々とやっていたのです。
潮目が変わるきっかけとなったのは、1980年に始まった赤羽再開発とそれに伴うピンクサロンの一斉摘発。都内で営業を続けるのが難しくなったお店たちが、赤羽から二駅と距離も近く立地的な余裕もあった西川口駅前の西口一番街に大挙移転してきたのがその始まりで、彼らは新天地でも赤羽時代同様に猛烈でウヒヒなサービスを1万円未満というお得な料金で提供し続けていったのです。
西川口で展開されるこれらのサービスは一部風俗ファンの間では有名な話でしたが、インターネットも普及していない時代なので、その範囲はたかが知れています。しかし、メディアがNK流なるフレーズと共にこぞって取り上げ始めてからというもの、すさまじい勢いで認知度を高めていき、前述のとおり観光ルートに組み込まれるほどにまでそのブームは膨れあがっていったのであります。
当初は過激なピンクサロン(俗にいう本サロ)でのウヒヒなサービスを指す言葉だったNK流という言葉は、だんだんと業種の垣根を超えて使われるようになり、ついにはNK流ヘルスという言葉まで誕生。2000年から4年ほど続いた最盛期には本サロ200店舗、NK流ヘルス100店舗といわれるほどの大規模な風俗街へと発展していきました。
だがしかし、出る杭は打たれ盛者は必衰してしまうのが世の理。歌舞伎町だけでも大変なのに、それ以上にやりたい放題の街があるのはいかんでしょうというわけで、2004年11月、駅前繁華街が風俗環境浄化重点推進地区に指定されて以降、過激なサービスを提供していたお店は徐々にその勢いを失っていき、2006年5月の風営法改正が決定打となり壊滅状態に。
ただ、あぁ哀れ西川口風俗は全滅、今や街はゴーストタウンと化してしまったのであります!!!!みたいな話はかなり大袈裟であって、実際、消えてしまったのはギリギリを攻めすぎていたお店たちと、そこに集うお客さんを当て込んでいた飲食店が中心。中核をなしていたピンクサロンは激減し、店舗型ヘルスもかなり数を減らしたとはいうものの、有力グループ店系列の人気店舗などは今も元気に営業中ですし、一番街の奥にあるソープ街もしっかりと残っています。
また、さいたま市に次ぐ県内2位、60万人の人口を抱える川口市は当然デリバリーヘルスの需要も高く、人妻系、学園系、マニア系などあらゆるジャンルのデリバリーヘルスが揃っている点も見逃せないでしょう。要は赤羽から本サロが移転してくる以前の姿に戻っただけといえますし、むしろ、NK流全盛期にあったようなボッタクリ的な意味や店員の対応的な意味でデンジャラスなお店が淘汰されたことで、誰でも安心して遊べる風俗街に生まれ変わったというプラスの見方もできます。
もちろん、表向きにNK流を謳うようなお店は姿を消し、それ目的で街を訪れる人もいなくなりました。その分、ブーム終焉後も生き残る老舗店や人気店がそれぞれに頭をひねって優良なサービスや割引を提供し、料金面でも当時よりお得な設定にしてくれているのは、NK流に固執せずに西川口風俗を利用する人たちにとってはまさにいいことずくめ。
短かったとはいえ確かにあったロマン溢れるNK流の時代。その遺伝子をかすかに残すこの街で、古き良き記憶を懐かしみ清く正しくお安く遊ぶのもまた、風俗マニアとして乙なものではないでしょうか。
西川口の風俗が人気の理由
西川口エリアの風俗店の本日出勤 待機中 11月21日(木)17時43分